書評
「ロシアは今日も荒れ模様」日本経済新聞社 1,575円 1998・2・16
米原万里著(ロシア語会議通訳者)
(福井市立図書館 302・ヨ)
なぜ、この本を紹介するかというと、動機はいたって単純、彼女が当方のロシア語の師匠だからである。○○年前、世田谷区の経堂にある日ソ学院(ソ連崩壊後、現在は「東京ロシア語学院」改組されている)という小さなビルに、わずか8ヵ月ばかり通ったことがある。その時の講師がたまたま彼女だったということである。1979年のソ連のアフガニスタン侵攻以後、日ソの経済交流も先細りとなり、ロシア語に対する需要も極端に落ち込み、30、40人は入るであろう教室で我々4,5人だけが授業を受けていたようである。授業の帰りによく経堂駅前のすし屋で一緒に飲みいった記憶がある。
その後、当方のロシア語能力は低下する一方で(元々、授業でもおちこぼれだったので、それほど能力を身につけてはいなかったが)、ここ数年はすっかりご無沙汰だが、彼女の方は、例のペレストロイカとゴルバチョフの来日以来、同時通訳者として一躍時代の脚光をあびることとなった。最近では、TVのロシア語会話の講師としても活躍している。そうした通訳の裏話をエッセイににしたのが、本書である。
ロシアとくれば経済危機・国債償還の不履行というのが最近の固い話題だが、柔らかい話題はいつも「ウォトカ」である。著者もまず「ウォトカ」の話題から筆を進める。通訳としての彼女の失敗談であるが、アルバイト通訳として訪ソしたときの歓迎の宴で、乾杯の挨拶を通訳しているとき、「通訳のわたしのグラスにまでなみなみと透明な液体が注がれ、、なんだか、わたしだけが飲まないと雰囲気を損なうような気がして、律義な字句通り、乾杯の度に底まで飲み干していた。何度目だったか、わたしが空になったグラスをテーブルに置いた瞬間、隣にいらした日本側団長さんがささやいた。『米原さん、あんたそれまさかウォトカ飲んでんの?』」
当方もかなり以前に訪ソしたことがあるが、イルクーツクのとあるホテルの夕食で、テーブルに水とおぼしき透明な液体の入ったビンと多少濁りのある液体の入ったビンが並べて置いてあった。喉が渇いていた当方の女性団員の1人はそのすきとおった水とおぼしき液体をコップに注いで一気に飲み干したのである。その後彼女がどうなったかは御想像におまかせする。
ゴルバチョフはロシア国内では全く人気がないが、海外ではいまなお人気がある。そのゴルビー失脚のきっかけとなった91年8月のクーデター失敗後の記者会見の同時通訳で、TV局に「『たぶん30分ぐらいでしょうから、何とかお一人で』と拝み倒されて、引き受けたものの、一時間たっても、二時間たっても終わらないので、焦った。死ぬんじゃないかと思った。結局番組自体が終了したので、放送中にわたしの舌が回らなくなるという不名誉な事態は避けられた」というのである。実にゴルビーの特徴を端的にとらえているエピソードである。しかしロシア語通訳の方はゴルビーのおかげで需要が驚異的に増大した。「それは、ゴルバチョフ自身が、紋切り型のスピーチしかしなかった今までのソ連の指導者とは違って、自らの言葉で世界に向かって語りかけるようになっただけでなく、彼の推し進めたグラスノスチ政策のおかげで、実に多くのソビエト人が公の席で、そして外国人に対しても、堰を切ったように本音で語り始めたからだ。これは、ロシア語通訳者の量のみではく、質も飛躍的に高める結果となった。」ようである。当方も当時もう少ししっかりと身につけておけばと悔やまれるが、後の祭りか?